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美容師としてできること。美容師だからできること。
カンボジアの歴史
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー
未来をつなぐ夢はさみ
募金活動
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継続する意義

私達がカンボジアでのヘアカットボランティアを開始するきっかけとなったのは、ある人物との出会いです。IWAI GROUP創業者である岩井文男と交流のあった、NY在住の美容師南田稔氏がロックフェラーセンターでヘアサロン「Vijin」を経営していた頃、そこに世界的に著名なカメラマンである写真家・井津建郎氏が顧客として来店されていました。

井津建郎氏は1949年大阪府豊中市に生まれました。中高を山口県岩国市で過ごし、岩国高校から日本大学芸術学部に進学。その後渡米し、1974年にはニューヨークに井津建郎スタジオを設立しました。 井津建郎氏は、14 x 20インチサイズのネガによるプラチナ・プリントという技法を用い、聖地や遺跡の写真撮影のため、世界中を旅していました。

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現地での活動

1993年春、世界遺産アンコール遺跡撮影のため、カンボジア・シェムリアップ市を訪れた井津建郎氏が撮影の合間に見たものは、貧しい医療事情のために日本や欧米ではみられなくなった病気で亡くなっていく子供や、地雷の被害にあっても医療やリハビリを受けられず、それでも逞しく生きる子供達でした。
「アンコールからは写真を撮る(Take)ばかりだったが、何かで返す(Give)べきでは?」と考えていたところ、幼児の死亡率は日本の30倍といわれる中、当時人口9万人を擁するカンボジアの第3の都市シェムリアップ市には州立病院が1つだけと知り、同地での非営利の小児病院設立を決意しました。

その話をサロンで聞いた南田稔氏は「そんなことは無理だ。もし本当に出来たら、美容師としてカンボジアに駆けつけ、小児病院で無償でヘアカットをする!」と約束しました。しかし、1995年、井津建郎氏はニューヨークと東京に非営利団体<フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー>が設立し、日米を中心に3,000人を超す賛同者の支援を得て、1999年2月に開院し成し遂げたのです。

南田稔氏は井津建郎氏の崇高な考えとその行動力に感銘を受け、当時の約束を果たすべくカンボジアでのヘアカットボランティアを一人で開始しました。2003年、まだ南田稔氏が活動を開始して数年が経過した頃、IWAI GROUPを代表して岩井寛樹がヘアカットボランティアに単独で参加しました。IWAI GROUPでのヘアカットボランティア活動が産声を上げた時でした。

2003年から活動を開始した岩井寛樹は、社内の賛同者を募り、募金活動と並行して現地でのヘアカットボランティアを行いました。また南田稔氏も精力的にボランティア活動を実施し、美容業界誌を通じて多くの理美容師達がヘアカットボランティアに参加するようになり、この活動を通じて友情と愛の輪が全国に広がり続けていました。

しかし、2005年4月9日、突然の悲劇が岩井寛樹を襲いました。仕事を終えた車での帰宅中、交通事故に遭い帰らぬ人となりました。慈愛に満ち溢れた彼は、享年31歳という若さでその短い人生に終わりを告げました。私たちは彼の屈託のない輝いた笑顔を見ることが永遠に出来なくなりました。

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継続する意義

当時、IWAI GROUP全体がその事実を受け止めきれず、深い悲しみに打ちひしがれていました。まるで抜け出すことの出来ない暗闇のトンネルを歩き続けているようでした。しかし、岩井寛樹と共にカンボジアヘアカットボランティアに参加した全国の理美容師、そして社内のスタッフから「岩井寛樹の遺志を継ぎたい!」と多くの声が寄せられ、諦めかけていたボランティア活動の継続を決意しました。

彼の非業の死から10年以上が経過しました。IWAI GROUPの現地での活動はカンボジアからさらに未開発のラオスへ、そしてヘアカットだけでなく、カンボジア現地での美容師養成職業訓練まで進化し、発展を続けています。

私達がヘアカットボランティア継続するのには理由があります。いつも心にある岩井寛樹の笑顔とカンボジアの子供たちの笑顔が、私達を再びカンボジアへ引き寄せるのです。

「美容師としてできること。美容師だからできること。」

一人でも多くの笑顔に会うために、私達はこれからもヘアカットボランティアを続けてゆきます。